私が病害虫の発生予察に携わるようになったのは、昭和40年に園芸試験場の病害虫研究室で果樹害虫の試験研究を担当するようになってからなので、もうかれこれ37年も前のことになります。発生予察に関してはいろいろな事をやりましたが、中でも予察灯の調査が大半を占めていました。
その頃の園芸試験場は福岡市の油山の中腹にあり、昆虫相が豊富だったので色々な虫が誘殺されました。今の予察灯調査は誘殺された害虫を1週間毎に採集するものですが、当時は毎日集めていたので、日曜日も出勤しなくてはならなかったのです。また果樹用の予察灯は明るい100W高圧水銀灯を使っており、誘殺量が相当なものであったうえ、果樹害虫とされる虫はすべて対象でしたので、夏には調査に半日以上かかることもしばしばでした。
さらに、出張等でその日にできなかったりすると、翌日はその分が上乗せされて1日中調査する羽目になることもありました。
予察灯に入った果樹害虫を分類していると、どうしても名前が分からないことがあります。そんなときには強力な助っ人がいました。
それは当時、浮羽地区病害虫防除所におられた行徳直巳さんです。
以前にも書きましたが、この方は虫の生き字引であり、分からない時には標本を届け見ていただくと、すぐに種類が判明しました。
私は虫を同定していただく毎に、防除所には本当にすごい技術者がおられるものだと感心し、早くあのような素晴らしいスペシャリストになりたいと思ったものです。
その頃の予察灯は木製で、シャーレに入れた青酸カリに少量の酢酸を加えることで青酸ガスを発生させ、虫を殺す仕掛けでした。
私が扱っていたものは青酸ガスのせいか腐食が進み、引き出しはブヨブヨ、あちこちに青酸の結晶が白くこびりついているような代物です。
私は最初のうちこそ猛毒といわれる青酸カリを扱うのは怖かったのですが、慣れてしまうと手で触れてもどうもなくなりました。
今から思うと無謀なことをしていたものだと思います。
予察灯の調査では青酸カリの臭いと虫の臭いが混じりあい、室内ではとてもできないので屋外の風通しの良いところでやっていました。
それでも雨の後などで虫が湿って腐りだしていると、その臭いたるや凄まじいもので大変苦痛でした。
まして二日酔いの朝などは気を失いそうなこともしばしばで、虫の誘殺が少なくなる秋を待ち遠しく思ったものでした。
しかし、そのように予察灯調査を通じて多くの虫に毎日接したお陰で、それまで虫に対して全く無知で、子供の頃から昆虫採集などしたこともなかった私も、少しづつ虫に親しみを感じだすと共に虫の名前を覚えるようになり、研究者としてのある程度の自信ができたように思います。
また、朝に予察灯に行くと、前夜誘殺されなかった生きたカブトムシやクワガタムシ、カミキリムシなどが周辺の樹にたくさん集まってきており、それを捕まえて知り合いの子供にあげていましたが、何回かに1回は子供の親御さんからビールのご馳走にありつけるという余録もありました。
私は今でも予察灯と聞くたびに、青酸ガスと虫の臭い、そして美味しかったビールの味を思い出すのです。
|